新着情報はこちらから!
息子の滋之は1991年3月、日本の中学を卒業後にイギリスのグレシャムズ・スクールへ入学しました。その3ヵ月後の6月に最初に留学契約をしたE社という会社が、滋之が寮で暴行騒ぎを起こし退学になると、詳しい事情説明もなしに一方的に電話通告をして来たのです。イギリスでは留学する際、ガーディアン制度というものがありますが、その会社ではきちんとしたガーディアンをつけず、何か問題が起こるとろくに調査もせず即退学、即帰国という方法を取り、個人のサポートはおろか、個人の尊重を無視し数々の金銭トラブルを起こしている悪徳業者だったのです。私は即、アンジェラス留学に相談しました。そして、助言通りに翌日、主人と二人でイギリスへ事の真相を調べに旅立ちました。
E社は私たちが校長先生や寮長先生と面会しないよう裏でいろいろ画策していたようですが、一週間後にようやく学校の責任者と面会を果たすことができました。そして、滋之が退学しなければならないような重大なトラブルを引き起こしたのか質問しましたところ、そんな事実はないときっぱり否定したのです。業者が生徒の退学を勝手に決断し、ガーディアンがいないために、私たちがイギリスにまで来なくてはならない情況を作ったことに対しても、その責任者は驚いていました。どうやら、E社は些細なトラブルを勝手に重大問題と解釈して何の解決もしようとせずに、ただ切り捨ててしまおうとしたようでした。
その当日、たまたまお仕事の都合でロンドンに来ておられたアンジェラスのスタッフが待ち合わせ場所のホテルで心配して待っていてくださったので、お会いして退学せずに済むことになった結果の報告をして、その後のことについていろいろ助言を頂いた事は、今でも昨日のことのように覚えております。その時はとても心強く安心できましたので、今でも感謝しております。
アンジェラスに会社を変更してからは学校生活、ガーディアンとの生活、勉強の方向等、いろいろな面で常に親と子の間に入り、サポートしていただきました。すばらしい業者、すばらしいガーディアンとの出逢いがあったからこそ、息子は10年間もイギリスに留学出来たのだと思います。15才の子供を留学させるということは、数々の不安がありました。イギリスの教育システム、寮生活、コミュニケーション、学期の中間にある休暇時の過ごし方・・・考え始めたらきりがないほど不安になります。人を人として大切にし、育てる留学システム出なければ、親や子も中途半端な人生を送らなければならなくなり後悔することになります。
寄稿者:宇佐美順子 様 留学生:宇佐美滋之 さん 経歴 : 1991年~1995年 Gresham’s School (ノーフォーク郊外) 1995年~1998年 University of Southampton(サザンプトン大学) 1998年~1999年 University of Surrey(サリー大学、大学院) 現在、日本の某製薬会社の臨床開発部に勤務。
今年で27歳になる長女美和子と25歳になる次男有信がアンジェラスのお世話で小学校を卒業すると各々すぐにニュージーランドの学校に留学したのがつい昨日のように思い出されます。子供たちの留学への堅い意志と将来の希望を聞き、私達が許可をすると子供たち自身で日本人がいなくて寮がある学校を選びニュージーランドへ旅立ちました。日本語しか知らない子供たちも突然英語だけの環境に放り込まれ、本人たちもさぞ大変だった思います。これを克服できたのはアンジェラスや学校関係者のお世話が有ったからです。中でも公私にわたって面倒を見て頂いた寮の仲間や寮母さんのお蔭でニュージーランドに早く溶け込むことが出来ました。
二人の5年間の高校時代の出来事は色々有り過ぎて此処では書き尽くせません。しかし、まだ考えの不安定な子供達を常に温かく見守りバックアップして頂けるので私達は周囲の人が思うほどの心配はありませんでした。二人が留学している間、毎年私達夫婦は二人の学校をそれぞれ訪問し、学校長と子供と三者で面談致しました。学校側も大変喜んで各教科の先生から寮母さんまでが参加され忌憚のない意見を述べますと、子供達が先生方相手に堂々と意見を交わした後に微笑みながら手を振って別れるのを見て、私は学業の結果よりもその様子が印象に残りました。
その後長女はオークランド大学の文学部、次男はオタゴ大学の理学部にそれぞれ進学しました。そして二人とも何とか大学を終え、今は社会に出て働いております。大学の卒業式は年に数回行われ、卒業生は自分の都合の良い時に出席します。私は幸いにも次男の卒業式に参列することが出来ました。卒業式当日は朝の学部長主催のティーパーティーに始まり、昼に大学より式場までパグパイプを先頭にダニーデン市街のメインストリートをパレードして市民を挙げての祝福を受けた後、市民ホールにて卒業式が始まりました。荘厳なパイプオルガンの演奏に始まり卒業生一人ひとり学長より卒業の祝福を受けました。卒業式は大変荘厳且つ厳粛な雰囲気で、国や大学が卒業生に大きな期待を抱いているのが感じられました。その様子は大変すばらしいもので、今でも昨日の出来事のようにはっきりと覚えております。卒業式の前後の日は卒業式用のガウンを着た人たちが市内を誇らしげに歩いており、見慣れない私にとってそれは不思議な光景でした。
子供達を留学させて十数年、いろんな事がありましたが、たくましく自立した彼らを見ると、思い切って教育に投資してよかったと、今ではしみじみ思います。 寄稿者:今津史和 様
留学生:今津美和子 さん 経歴 : 1991年~1996年 Columba College (ダニーデン) 1997年~1999年 University of Auckland(オークランド大学) 現在、現在、日本の某電鉄会社のソウルバード事業部にて通訳、翻訳、海外との交渉等の仕事に従事。
留学生:今津有信 さん 経歴 : 1993年~1996年 King’s High School (ダニーデン) 1997年~1999年 University of Otago(オタゴ大学) 現在、ウエリントン市のオタゴ大学付属病院の検査施設に勤務。
私達が10年前に次女の尚子を高校から留学させる決心をしたのは、国際的に通用する英語力を娘に身につけさせたいと考えたからです。娘は小さい頃から算数や数学が得意でしたが、将来理数系に進むなら、なおさら英語力は必要だろうと思ったのです。また、自立した生活力を身に付けさせたいとの思いもありました。
そこで早速留学の調査や準備をしましたが、私達だけで行うには限界も感じたので、サポートしてくれる機関を探しました。数箇所の機関で説明を頂きましたが、治安や費用面などから希望していたニュージーランドにプログラムがあったこと、地味ではありましたが親身に取組んでいる姿勢に信頼感を感じたこと等からアンジェラスさんにサポートをお願いしました。留学準備から、留学後の現地のサポートまでとても心強かったことを覚えています。
そして、いよいよ尚子は高校2年の12月に日本の高校を離れ、ニュージーランドの高校2年に編入しました。学校は、南島のクライストチャーチ市内の私立の共学校で幼稚園から高校までの学年2クラス、1クラス20名くらいの規模の落ち着いた学校でした。ESLのクラスもありましたが、その他の教科はさっぱり解らず、最前列で聴き、テープにとって帰宅後にまた聞きながら、ホストファミリーにサポートしてもらう毎日だったようです。このホストファミリーは、市内の共働きで小学生の男の子2人がいる一般のご家庭でしたが、社会人になった今でも、このホストファミリーとの交流が続いており、大変お世話になっております。
努力の甲斐あって、娘は2年目の高校3年には各教科の成績も上がり、大学入学に向けた統一試験も十分な結果が得られました。そして卒業にあたっては、学校から学年で数人だけに与えられる「優秀賞」をいただきました。
高校卒業後はカンタベリー大学の理学部(化学専攻)へ進学し、さらに同大学の工学部に編入学し卒業しました。5年間の大学生生活では、NZだけでなく日本やアジア各国からの留学生とも大いに交友が広がったようです。また、工学部の教育プログラムの一環で、2箇所ほど職場を探してインターンシップをしたことも、社会や職業人、NZを理解する上で役に立ったようです。
現在娘は、南島のセントラルオタゴでNIWAという会社でオゾン層の観測などの仕事について、社会人として自立した生活を送っています。自然のすばらしいニュージーランドが尚子にとって第二のふるさとになりました。 寄稿者:塩穴春江 様 留学生:塩穴尚子 さん 経歴 : 1994年~1995年 Middlton Grange School 1996年~2000年 University of Canterbury(カンタベリー大学) 現在、ニュージーランドでオゾン層の観測に従事。